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テレビで”無理矢理罪を認め”させて何になる?

Posted on May 27, 2014 By 何清涟 No Comments on テレビで”無理矢理罪を認め”させて何になる?

何清漣

2014年05月11日

全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

http://twishort.com/YUsfc

政治的脅迫としてテレビを通じて”罪を認めた”などと言いふらすのは去年から北京がしばしば使いだした恥知らずの手練手管です。最近ではジャーナリストの高瑜女史(1944年-)が”罪を認めた”と報道し、徐友渔(哲学者・文革研究者)にこの恥知らずなやりかたを適用しようとしてきっぱりと拒絶されました。(爺注;http://goo.gl/qeNHXuなど参照) このニュースをきいたときはこの昔の友達のために良かった!と快哉すると同時に、この恥知らずのやり方が誰を辱めているか、北京政権の命運に何を意味するかを考えました。

《国民を辱める統治者は捨てられる》

中国の悠久の歴史で興亡も乱世の経験も多々ありますが、大昔の事はさておき、明と清の時代だけでも、教訓の最大のものは朝廷が民の、とくにその士の人格を辱めたものは朝廷の存亡にあたって、臣民に古ワラジのように捨て去られる、です。

中国は古来暴君やバカ皇帝でなければ、みな「士は殺してもよいが、辱めてはならない」を理解していました。ただ明の太祖・朱元璋と毛沢東というふたりの農民出自の皇帝だけが士を辱める事を特に好みました。朱元璋は「大臣尻打ち係」(http://bit.ly/1jjdFbs)の制度をつくり毛沢東は知識人を「コジキよりは上の連中」と呼び、かつ侮辱的な「思想改造」をおこないました。

裸たたきの刑は隋の文帝がはじめ、元朝皇帝もこれを愛用し、しかし朱元璋はこれを制度化しました。大臣が逆鱗に触れたらその学問品行がどうであろうと、皇帝はすぐズボンをぬがせて文武百官の居並ぶ前で刑を執行しました。その目的は、肉体を痛めつける極端に残酷な刑のほかに、士大夫を辱め、精神的に大打撃を与えることにありました。「自分が偉いなどとおもうな。朝廷がお前を使っているのは犬にエサをやってるのとおなじだ」と皇帝に耳障りな忠言など吐く奴は面子を潰してやる、と。これは当然、そばで見てる人々への「教育効果」がありました。

一方中国の士大夫には「文武の芸ができたら、帝王一家に貸す」という意識が仕官にはありました。また「士は己を知るもののために死す」という伝統あり、君主を天道とみなす古代でさえ孔子は「君は礼をもって臣をつかい、臣は忠をもって君に仕える」といいました。これはすこし後に「国士として我を遇せば国士として酬い、ただの人として遇せばただの人として報いる」というのが古代読書人のみな知る名文句になりました。

宋と明の滅びたときの歴史は、孔子の「君に礼あれば臣に忠あり」の生きた見本です。南宋朝廷が元に滅ぼされた時、矢尽き刀折れた宰相陸秀夫は幼児の皇帝を抱いて海に沈み、国に殉ずるものがいくたりもでました。文天祥は降参するなら死をえらび、「人生もとより誰か死なざらん、赤心汗青を照らす」(爺注;人は誰もが死ぬがその意義によって歴史に名を残す)は千古に伝わる名文句になりました。これに対し明の最後は洪承畴、吴三桂等の股肱の臣の多くは投降し、崇祯が首つり自殺したとき付き従うものは宦官の王承恩1人だけで、太子の朱慈烺は祖父の周奎のもとに逃げても門を閉ざされたのでした。なぜ宋朝は多くの大臣が国事の為に死をえらび、明朝は大臣や外戚まで投降して変節したのか?

その一つの原因は明らかです。士大夫に対する態度の違い。歴史に詳しい人ならご存知の通り、宋は唐以前ほど士大夫を重んじませんでしたが、明にくらべれば厚く遇しました。例えば宋の太祖は大臣や諌言担当者を罰しないということを遺訓として廟に掲げ、もちろん杖で尻をたたくなどということはしませんでした。ですから宋が滅びた時、多くの臣下がこれに殉じたのでした。しかし明朝の滅びるときは皇帝陵墓が掘り返され、国に殉ずるものはおらず、農民の手中におちた朱家の子孫の死に様は無惨を極め、福王伝説では、スープにされてしまったといわれます。

毛沢東の「思想改造」の悪辣さはさらに朱元璋を越えており、肉体を消滅させるのではなく多くの無実の人々を荒野に追いやり、その最低限度の生活の中で苦しませ、自分たちに罪があることを認めさせる「改造学習」を強いたのは一種の精神的陵辱とでもいうべきものでした。劉少奇や彭徳懐といった革命の同志達にも極めて非人道的な扱いをしました。毛の酬いはその死後数十日でその妻甥が牢獄にほうりこまれ、それを画策したのが彼の管財人ともいうべき汪东兴らの腹心たちだったのです。

《君が民を塵芥視し、民は君を仇敵盗賊と見なす》

「テレビで罪を認めさせる」相手は、当局から見たらやはり影響力のある人物でその社会的名声を破壊し、民衆に「教育」する意義があります。文革当時は林昭 (*女性民主活動家、1968年4月29日密かに処刑された)の家族に死刑に使った弾丸代金を請求しました。いまや多くの人々がテレビで「罪を認めさせられ」ても、その人達に使った本来なら何十万元、何百万元のテレビ放映の広告料金を請求されないだけ、政府の国民に対する「善政の恩恵」だといえるでしょう。

ずっとウォッチしてきたのですが、このあらゆる機関の前に「人民」という言葉だけをくっつけた現在の政府と、人民の間にはいったいどんな関係があるのでしょうか?古代には「国に三つの宝あり。土地、政治、人民」といわれました。古代思想家はみな統治者と被統治者の相互依存関係を理解していました。孟子は有名な「君は軽し、民は重し」という言葉のほかにもさらに君臣の関係は一種の双務的義務責任関係であり、「君が臣を手足のようにみるなら、臣は君を心とみるが、君が民を犬や馬とおもえば、臣は君を並の人とみる。君が民を泥土とおもうなら、民は君を仇賊だとおもう」、といっています。

唐の大宗・李世民は舟と水に譬えて、水はよく舟をうかべるが、また舟を覆す事ができる、といいました。歴代王朝の末期の農民反乱は基本的には統治者が目先の利益をむさぼり先のことを考えなかった結果です。

中国の各王朝で統治集団内部の君臣関係と人民との関係が現在の王朝と比べられるのは清朝です。清朝はずっと漢族と満族の区別を厳しくして、漢族を家の奴隷として扱い、天下は満州の八旗の貴族のもので、漢族は税金をまきあげる対象としか見ず、漢族の家来は高級奴隷扱いでした。清末になってもこの考えは変わらず、西太后の「友邦に贈るも、家奴隷にはやるな」というのはこの考え方をあらわしたものです。

やむをえず立憲制への準備をせざるをえなくなってもできたのはやはり皇族内閣で、これはいまの革命二代目族が中国を父の世代の革命が自分達に残した「紅色の山河」として自分達の遺産とみなし、外国援助には気前がよく、国民には吝嗇なのと似ています。清の宮廷がこのように家付き奴隷としてあつかうわけですから、”奴隷”側も心の中では朝廷をよそ者とみていましたから孫文は朱元璋の北伐の檄文を借りて、文中に「韃靼人を駆除して、中華を回復しよう」と漢族の民族感情を刺激し、清王朝覆滅の大業に加わらせようとしたのでした。

以上の事は、統治者と被統治者が一つの利益共同体でないならば投資者は被統治者(自分達の中の失敗者も含む)の人格、財産、を尊重せず、剥奪できるものはみな剥奪したいとおもっている、ということです。人格、財産は人間が身を立てるもとです。それがみな奪われるとなると、統治者に力や利益誘導でおとなしくしてる以外は、内心でも指導者集団の紀律や決まりや言う事など一切、尊敬するはずもありません。

いまの中国の統治集団は土地を収奪できる財産と見る以外、政治と言えば治安維持と金儲け、人民には納税する役目しか残されていません。税金も納められない貧乏人は「負債のお荷物」とみなされます。各種さまざまの権利を勝ち取ろうとする反抗者(徐友漁のような自宅で天安門事件の記念活動をする輩も含む)は全員「余計な事をする厄介者」です。天安門事件は当時の外国人記者が現場でビデオやカメラで報道しておりとっくに誰もが知っていることですが、北京当局はなお徐友漁をテレビの前で謝罪させようとしましたが、自分でいかに愚かかを晒す以外に、徐友漁を侮辱することはできず、北京当局がどだい隠し様も無い血なまぐさい歴史をそれでも隠そうと徐友漁を脅迫し、文明世界からみずからを断ち切ったということを世界にみせ、ただ統治者自身を自ら貶めたということしかできなかったわけです。

テレビ番組にして、自分の罪を認めさせるなどということは完全に北京の自らの体制が脆弱だからおきる過剰な防衛なのです。徐友漁らは、中国の批判的な異議申し立てをする人々のなかでは最も穏健な一派です。近年、彼と行動をともにする人は一時、「中共内の改革派と協力しよう」と強く主張していました。もし中共がこの最も穏健な批判すら容認でず、こうした建設的な意見を述べる人々に「テレビで罪を認める」などという恥辱を加えようとするなら、その末路はどうなるか、リビアのカダフィの最後と「殷鑑遠からず」といったところなのであります。(終)

拙訳御免
原文は;何清涟:央视“认罪”到底羞辱谁? http://www.voachinese.com/content/he-qinglian-20140511/1912445.html

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日文文章 Tags:「思想改造」, テレビで”, 何清漣, 古来暴君

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